昭和後期を代表する国民的演歌歌手として数多くのヒット曲を送り出した都はるみさん。

現在都はるみさんの年齢は77歳です!
そんな都はるみさんは現在の歌手活動について気になりますよね!
そこで今回は現在の都はるみさんの、
- 現在の画像
- 現在、何してるのか
- 結婚、離婚、事実婚など
- 元旦那は誰なのか
について調べてみました。
都はるみの現在の画像は?
都はるみさんの現在の画像を見てみましょう。

2014年に伊豆大島「台風26号土石流災害」への義援金贈呈式に出席した際の都はるみさんです

義援金300万円を寄付していました。
都はるみさんは、SNSやブログを運用していないようです。
また現在はニュースやテレビなどのメディアにも出ていらっしゃらないようです。
都はるみさんの代表曲、「アンコ椿は恋の花」の舞台が伊豆大島という事もあり、歌碑も建てられており16歳の頃から大島に足を運んでいたそうです。

都はるみさんにとっては第二のふるさとなんだね
若い頃の都はるみ
都はるみさんの若い頃の画像も見てみましょう。

若々しい都はるみさん!
まだ幼さもありながら、静かなお色気もちょっぴり、あります
都はるみは現在活動休止中!理由は?音楽プロデューサー活動についても
現在の都はるみさんは、
お仕事は完全にお休みをしているようです。
活動休止の理由
都はるみさんの活動休止の理由は、明確には語られていません。
報じられている内容から推測すると
- 元々一年間の休業発表から始まり、現在に至っている
というのが実情のようです。
2016年2月18日に、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演した都はるみさんは、

この歌でもういいかなと思うこともある。いい詞に出会えばいいけど、なかなか巡り会わない
と話していました。
様々な賞を受賞した都はるみさん。
2010年には日本国からの紫綬褒章を受賞しました。

これ以上の受賞は無い、と感じたのかも
その後、都はるみさんは2015年11月24日全国ツアー最終日に

2016年の1年間、単独コンサート活動を休業する
と発表します。
さらに同年12月、五木ひろし司会の音楽番組「日本の名曲 人生、歌がある’3時間スペシャル都はるみトリビュート’」への登場を最後に、テレビ出演も休止したのです。
都はるみのヒット歴!
1963年、第14回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝した都はるみさん。
翌年の1964年に「困るのことヨ」で、デビューします。同年「アンコ椿は恋の花」ミリオンセラーになる大ヒットし、都はるみさんは第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得しました!

素晴らしいスタートだね!
1976年には「北の宿から」で第18回日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリなど数々の音楽大賞を受賞しました。

この曲は知ってる!
「普通のおばさんになりたい」といったん引退
しかし1984年、名実ともに絶頂だった36歳のときに、「普通のおばさんになりたい」と都はるみさんは突然の歌手引退を宣言。
その年の年末の第35回NHK紅白歌合戦出場を最後に都はるみさんは一旦引退したのです。
音楽プロデューサーとして活動再開
都はるみさんは、1987年に音楽プロデューサーとして活動再開しています。
そして新人女性歌手のプロデュースを担当。
また1989年には、サンデープロジェクト(テレビ朝日)に「普通のおばさん代表」として出演し他都はるみさん。
コメンテーターおよびスポーツコーナーのレポーターも務めました。

多才ですね
歌手活動を再開!きっかけは美空ひばりの死
同年6月に52歳で美空ひばりさんが亡くなった時には、

私たち歌手というのは多くの場合、『歌がうまい人』です。けれども、ひばりさんは『全身歌手』で他の人とはまったく違った
とコメントを残しています。
これをきっかけに都はるみさんは歌手活動を再開を決心。その年の第40回NHK紅白歌合戦に出場。
代表曲の「アンコ椿は恋の花」を熱唱し、引退後丸5年ぶりのステージとは思えない、以前と変わらぬ歌声を披露し復帰を望む声が一層高まりました。
そして翌1990年歌手活動完全復帰を発表。昭和の国民的演歌歌手が平成の世に舞い戻ってきました。
2010年に紫綬褒章を受章
さまざまな賞を受賞した都はるみさんですが、2005年芸術選奨文部化科学大臣賞、2010年には紫綬褒章を受賞しました。
そして2024年現在、都はるみさんは芸能活動は歌手活動も含め完全に停止しています。

完全にやり切った感があるのかな
都はるみは現在結婚してる?離婚した元旦那は誰?
都はるみさんは現在結婚はしていないようです。
ただし過去には結婚歴が一度だけあります。
元旦那は作曲家!
1979年、作曲家の朝月廣臣さんと結婚しましたが、1982年に離婚しています。
2人の出会いは1964年。
都はるみさんがデビューした半年後に、元旦那の朝月廣臣さんもデビューしました。
当時の朝月廣臣さんは、都はるみさんの前座を担当していたんです。
そのため、ほぼすべての仕事を都はるみさんと共にし、そのうちに都はるみさんは朝月廣臣さんの事を「お兄ちゃん」と慕うようになりました。
そして恋人として交際が始まり、結婚も意識し始めます。
しかし、当時人気絶頂の都はるみさんとの交際を事務所は猛反対!
事務所から「はるみと付き合うなら君の歌は出さない」と言われた朝月廣臣さん。
あっさりとレコード会社を退社します。
その後朝月廣臣さんは写植会社を設立。
都はるみさんも応援していました。
ところが、時代は変わり……。
朝月廣臣さんは写植会社を畳むことになりました。
次にオーダー紳士服の会社を銀座に設立した都はるみさんの元旦那。
しかし、その頃から朝月廣臣さんの銀座遊びが始まってしまいます。
夫の浮気に怒り狂ったはるみさんが、彼の背広をすべて湯船につけて着られなくしてしまったこともあった。また、『北の宿から』の大ヒットの裏で、はるみさんが流産してしまうという悲運も。
周囲の反対を押し切った結婚も、たった約4年しか持たなかった。10年以上も同棲生活していたのに…。
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長いお付き合いがあったにも関わらず離婚。やはり恋愛と結婚は違うんだね。
離婚後の事実婚について
1982年に離婚した都はるみさん。
その際に公私に渡り相談していたのがプロデューサーの中村一好さんです。
都はるみさんの担当となってから恋仲となるまで、そう時間は掛かりませんでした。
中村一好プロデューサーは、
- 石川さゆりさんの「天城越え」
- 新沼謙治さんの「嫁に来ないか」
- ちあきなおみさんの「矢切の渡し」
などを手掛けた敏腕プロデューサーでした。
しかしその時中村一好さんは妻子ある身で、しかも山口県にある中村一好さんの実家に妻子を残していたのです。
都はるみさんは再婚を強く望みますが、中村一好さんの実母の介護をしていた奥様はこれを断固拒否。
都はるみさんと中村一好さんは事実婚状態のまま、その後約24年も関係を続けていました。
2人の関係に終止符が打たれたのは2008年。
中村一好さんが自宅で自らお亡くなりになったのです。
都はるみさんは全国ツアーの公演を終え、帰京して訃報を聞きました。
しかし中村一好さんの奥様の意向で都はるみさんは葬儀に参列する事はできませんでした。
実は中村一好さんは都はるみさんの個人事務所「プロデュース都」の社長も務めていました。
都はるみさんは公私のパートナーを失ったのでした。

ご本人も周りも辛いことでした
都はるみは現在どこに住んでる?
現在の都はるみさんは、
東北のビジネスホテルに住んでいるそうです。
2021年、都はるみさんは東北地方のビジネスホテルに住んでいるという情報がありました。
2021年3月に東北のビジネスホテルに滞在している
- 都はるみさんと元・俳優の矢崎滋さんが連れ立っているところ
をFRIDAYの記者が目撃しています。
2人は一緒にホテル暮らしをしていると報じられていました。
午後はランチをしにお出かけしているそうです。
事実なら、仲睦まじくのんびり暮らしていらっしゃるのでしょう。
3月のある日、近所で昼食を摂った後、矢崎はホテルのエントランスの脇に座り、タバコに火をつけた。その隣に立っていた都がふいに快晴の空を指さす。二人はヒコーキ雲を見ながら笑い合い、しばらくその場所でのんびりと過ごした。
都は『好きになった人』と安らぎの時間を手に入れたのだろう。
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穏やかな様子だね
都はるみの現在の収入は?
都はるみさんの現在の
収入は不明ですが、資産としては10億円ほどあるようです。
そして都はるみさんの収入源は主に2つで、
- 楽曲売り上げの印税
- カラオケ印税
などです。
内容を見ていきましょう。
都はるみさんは1964年にデビュー。
その後、1984年に一時引退するまでの20年間の『レコード・テープの総売り上げ』が630億円と報じられています。
また1984年12月の1か月だけでも4億5000万円を売り上げているそうです。

桁違い…
さらに現役時代には全国ツアーなども行っていたので、公演ギャラもありました。
また、レコード売り上げの1%ほどの印税が歌手に入ると言われています。
現役時代の年収は1億円は優に超えていたと推測されます。
都はるみさんの楽曲は現在もカラオケで歌われています。
今も、都はるみさんにはホテル生活を送るに十分な収入・資産があると推測されました。

お掃除もしてくれるし、安否確認もできるからホテル生活も安心ですよね。
都はるみのwikiプロフィール
都はるみさんのwikiプロフィールはこちらです。
- 名前:李 春美(1948年 - 1966年)北村 春美(1966年 - )
- 生年月日:1948年2月22日
- 年齢:77歳(2025年5月現在)
- 出身地:京都府京都市
- 職業:元演歌歌手、元音楽プロデューサー
- 学歴:洛陽女子高等学校中退
- 趣味:ゴルフ
都はるみさんが歌を歌いだしたきっかけは、芸能好きの母親が都はるみさんが5歳の時から日本舞踊とバレエを習わせ、6歳からお母さん自ら浪曲と民謡を教え始めた事がきっかけだそうです。
デビュー後もお母さんがマネージャーを務めていたようなので、ステージママだったんですね!
洛陽女子高等学校の当時の学校長によると「歌手になります!」と言って中退したそうですが、当時は似たような若者が多く、都はるみさんもその1人としか思っていなかったようでした。
しかし大成功したのですごいですよね!

ちなみに歌ってばかりいたから成績は芳しくなかったそうだよ。
またいつか歌っている都はるみさんの姿を見たいですね!